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加西の人々

「よしよし」してくれる野菜で、みんなを笑顔に

久世 継義

よしよし畑株式会社

2023.02.28 UP

加西に移住して新規就農し、『よしよし畑株式会社』を経営されている、久世継義さん。よしよし畑さんのトマトは、めちゃくちゃ甘くて美味しい!と大評判です。夫婦の強みを生かして農業の可能性を切り拓く久世さんを取材させていただきました。

 

《自己紹介と事業説明》

ユニテ

久世さんご自身のご紹介と、取り組みのご紹介をお願いします。

 

久世さん

『よしよし畑』の久世と申します。2018 年に加西に引っ越してきて起業しました。最初は個人事業で初めて、2021年に株式会社にし、パートさん 12 名と夫婦という形でやっています。ほうれん草や茄子も作っていますが、売り上げの7〜8割がトマトなので、基本的に私たちはトマト農家です。

 

背の高い温室をカナダから持ってきて、生産性を重視して作っています。移住で新規就農というと金銭面でも苦労をしながらみたいなイメージが強いんですけど、私は完全に起業という意識で、農業をちゃんと会社として運営したらすごく面白いことができるんじゃないかなと思って始めました。

 

農業って収益性のところは非常に厳しいと言われ続けているのですが、私自身は都市近郊農業ってすごく可能性があると思ったんですね。加西っていうところは、姫路と加古川もエリアに加えると大体 100 万人ぐらいの人が住んでいて、例えば 1 億円ぐらいの売り上げを作るんだったら、100 万人いれば OK じゃないかと。もしそれで足りなかったら、1 時間半まで足を延ばすと神戸や大阪、京都も商圏に入ってきますし。加西って大都市の縁にあって、農業的にはすごくいいところなんじゃないかなと思いました。

 

現在、私たちのトマトは地元のローカルチェーンのスーパーさんと直接取引をしてもらっています。地域密着型の小さなチェーンの人たちは、自分たちのやっていることを尊重してくれますし、すごくやりやすいです。あと加西ではJA の直売所や、近所にある昔ながらのパパママストアという感じの食料品店さんでも扱ってもらってますし、オンラインでも買えるようにしています。

 

私たちは野菜を仲良しの友達夫婦とか、年配の方だったら息子夫婦が作っているように感じてもらえると、すごく美味しく食べてもらえるし、食卓が温かくなるんじゃないかなと思うんです。私たちが作った野菜で、食べてくれる人のことを労ってあげられるような、そんな農業をしたいなと思っています。

《移住までの経緯》

ユニテ

移住までの経緯を教えていただけますか?

 

久世さん

私はこれまで色々なところに住んでいまして、大学で札幌、大学の間に 1 年休学してオランダにも住んでいました。大都市だと東京、京都、大阪の茨木市。田舎でいうと福井県のあわら市などで、加西は 9 個目の町になります。 加西に移住してきた理由は、農業を始めるにあたって、たまたま加西で農地を使ってもいいよって人に出会えたので来たという。もうそれに尽きるんですけど。

 

この間、高校生に「なんで加西で農業を始めたんですか?」っていうことを聞かれて、そういうふうに答えた後に、あまりにもそっけない答えだなと思いまして(笑)、その後ずっと考えていたんですけど。きっかけはどうであれ、町はスペックじゃないなっていうのは、私の中で見つかってきました。商業施設とかエンターテイメントとか交通とか、子育てとか住環境とか、スペックって色々とあると思うんですけど、私がいろんな町に住んで思ったのは、結局いい人たちと出会えた町はいい町だし、出会えないとあんまり思い出が残らない町っていうことなんですよね。

 

それでいくと、ユニテさんもそうですし、加西の知人からも色々な方を紹介していただいたりもして、結局私にとって町っていうのは人なのかなと思います。移住を勧誘する側の加西の人たちも「加西ってこんなにいい町ですよ」っていうふうに紹介をするんですけど、それはもちろんのこととして、町ってやっぱり人かなという感じがします。

 

《大学時代と食への興味》

ユニテ

北海道の大学に行かれた背景や理由は何だったんでしょうか?

 

久世さん

高校生の時はホントに何も考えられていなくて。最初は調理師になりたかったんですけど、先生方に調理師になるにしても、ひとまず大学に行った方がいいと言われて。食だったら農学部だよなって。で、農学部といえば「be ambitious」じゃないかって。「じゃあ博士の北海道大」だみたいな。でも東京と京都にも住んでみたいと思って、そっちの大学も受けてたんですけど、結果北海道になったという。あんまり深い話は何もないです。

 

ユニテ

食に関わることがやりたかったみたいな、漠然とした夢はあったんですか?

 

久世さん

そうですね、食品関係はずっと好きで。農業で言うと、おじいちゃんが岡山でお米と清水白桃というすごく高級な桃を作っていて、それを大学のときに2〜3週間、住み込みで手伝いに行くことがありました。  あと小さな国の農業にすごく興味があって。アメリカとかオーストラリアとか、でっかい土地で農業が強いっていうのはよくわかるんですけど、オランダって九州ぐらいの面積と人口で、国境も EU でかなり取っ払われているんですね。オランダって間違いなく先進国で、トップグループにいて。でも EU 圏内ってスペインとかイタリアとか、言ったら中進国の上ぐらいの国と、国境のない闘いをやっています。「関税障壁がない闘いでなんで大丈夫なんだろう?」という興味を持って、オランダに行ってトマトの温室で働きました。

《野菜を作るキッカケとなった商社時代》

ユニテ

大学卒業後はどのようなお仕事をされていたんですか?

 

久世さん

神戸の商社に勤めて、冷凍野菜などの輸入をやっていました。で、その会社が野菜を作るところからやろうとなって。その頃は国産の冷凍野菜は全然物が足りなく、それだったら自分たちで作る方も手掛けていこうじゃないかってことで、私も農学部出身ということでプロジェクトに最初から参加させてもらえたんですよね。新卒 2 年目だったんですけど、なんかものすごい無茶振りをされて(笑)。実は福井県の株式会社の農業参入第 1 号は私たちが手掛けたんです。

 

大規模な路地野菜を、最初は 6.5 ヘクタールから始まって、4 年後には 13.5 ヘクタールぐらいまで広げて。カット野菜工場も同時期に立ち上げて。これがすごく面白かったんですよね。事業計画を作って、契約栽培をやってくれる農家さんも探しながらそれを売っていくという。大きな取引先とお付き合いさせてもらう中で、自分たちの作ったものがいろんなところに流れていったんですけど、メーカーとして企画立案から、営業活動まで全部が手元にあるっていうのがすごく面白くて。

 

でも残念ながら事業としては大赤字で。なんかすごく申し訳ない気持ちがあって、悔しかったです。その後は全然違う「ロシアや中国に大型の建設機械を輸出する」部署に移りましたが、私はやっぱり食品がいいなと思っていました。

《農薬メーカーを経て、起業を決意》

 久世さん

その後、紆余曲折があって農薬メーカーに行って、農薬の営業を 4 年やりました。だけど農薬メーカーって、サポート役の会社ですよね。農家さんがプレイヤーでいて、それをサポートするっていう。やっぱり私はプレイヤーだなと思ったんです。

 

福井にいた時に、農業っていうのは売り上げだなってことが分かってきて。売り上げって量と単価ですよね。これを掛け合わせて、普通が 1 なんだったら、2 の売り上げを作れれば、めっちゃ上手くいくっていうのはすごくよく分かっていたんですよ。ただ、そんなに簡単じゃないよねっていうのも思い知らされていました。

 

そんな中、農薬メーカーにいると色んな先端技術とかに触れる機会が多くて、先端技術を掛け合わせていったら、高い品質とたくさんの収穫を両立させられそうだと思ったんです。

 

妻がデザイナーということもあり、私たちはデザインを得意としているので、農業にデザインを掛け合わせたらいいじゃないかというアイデアがありました。それと都市近郊農業が取引単価やお客さんとのコミュニケーションに有利だということも分かっていたんで、そこに技術っていう最後のピースがパッとはまったことで、これだったら起業できると思いました。

 

そうやって考えていた時に、子どもが 1 歳になって、妻が職場復帰するのと同じ 4 月のタイミングで、私も千葉に単身赴任になったんです。今まで若手社員として色々と声をかけてもらって、いろんな仕事をやらしてもらって、すごく楽しかったんですけど、なんかひたすら転勤を繰り返すのは流石にしんどいみたいになったタイミングでもあって。勇気とお金が貯まったところでもあり、人生の主導権を自分の方に戻してこようと思って「起業」しようと決意しました。

 

《たまたま加西で農地が見つかる》

ユニテ

加西で農地が見つかった経緯についてお聞かせいただけますか?

 

久世さん

起業するって決めて半年ぐらいの間に、色々なところで新規就農相談会がありまして、東京や大阪の相談会にも行っていたんですけど、兵庫県が主催するものが神戸であった時に、たまたま加西市のブースがありました。で、たまたまそこにいた市役所の方が翌年の春に定年退職の予定で、これは間違いなくその方の最後の案件だなみたいな状況になっていて。本当だったらそこまで肩入れしないけど「俺の村に来い」みたいな感じになったんです。結局、もうこれも運で(笑)。

 

農地の取引って、普通は親方と呼ばれる地域の有力農家さんのところに研修で入って、2~3 年働いてるうちに農地が見つかってくるっていうのが通常パターンなんですけど、私は福井の経験もあったし、「新しい技術を入れてやるぞ」みたいな妙な自信はあったので、それは嫌だと。なので「農業がしたい」とひたすら言い続けていたら、たまたま加西にご縁があったという感じです。都市近郊農業がしたかったので、京都から岡山ぐらいのエリアで探してはいました。

《農地探しの大変さと、軌道に乗るまでの葛藤》

ユニテ

定年前の職員の方が最後の力を振り絞ったのは、受け入れるのにはそれぐらいのパワーがいるということなんでしょうか?

 

久世さん

私も理解しにくい部分があるんですが、農地を貸すっていうのは多分ものすごく大したことなんですよ。うまくいっている産地は農地の取り合いで、後継者もバンバンいるという状況なんですけど、9 割ぐらいのところはおそらく後継者不足があって、さらに人口減問題というのがそれよりも上位にあって。だけど、誰でもは来て欲しくないみたいな複雑な思いもあって。だから農地をいきなり貸すというのは、ほぼ無いと言えると思います。

 

私はたまたま「俺の村に来い」と言ってもらえましたが、それでも実際に入った後にはコミュニケーション不足で農業の始め方に齟齬があったりもしました。

 

その潮目が変わったのは、最初の年にいろいろと縁があって繋がって、大きな百貨店さんや大きなホテルさんとかに納めることができた時ですね。ビッグネームとの取引が出てきた時に、一気に潮目が変わったなと思います。遠くから様子見という雰囲気から一気に協力的になったというか。輪の中に入っちゃえば、ものすごくいい人たちだから(笑)。「この人は大丈夫だ」と思ってもらえるまでがやっぱり大変なのかなと思います。

《トマトをメインで作る理由》

ユニテ

トマトをメインで育てることにされたっていうのは、何か理由がありますか?

 

久世さん

トマトにしたっていうのは幾つか理由があるんですけど、まずはオランダのトマト温室で 1 年働いていて、私にとっては馴染みがあったというのが一つ。あと一つは、やっぱりマーケットの大きい野菜だったっていうのがあります。例えば、とりあえず年間 1000 万円を売るにしても、1000 万円っていうと 出荷が300 日だと毎日 3 万円とか 5 万円とか売れていかなきゃいけないわけですよ。で、説明しながら売らないといけないようなマイナーな野菜だと、そんなに売れないじゃないですか。何百パックって売らなきゃいけないので、ほっといても売れないといけない。そういうメジャー野菜の中で、自分たちのブランドを作れれば品質次第で値段に反映できる野菜がいいということでトマトになりました。

 

《住まいについて》

ユニテ

現在のお住まいについてお聞かせください。

 

久世さん

私の住んでる家は、おばあちゃんが老健施設に入られて、お爺さんは亡くなられ、お子さんたちは市外に出られている状態の空き家を、村の人が買い取った直後に、私がたまたま「ここで農業したいんです」と言って貸してもらえることになりました。実はこの家を別の人に貸す話が概ねまとまりかかっていたのですが、その話を途中でキャンセルしてもらって私が貸してもらえることになったという。半年早くても半年遅くても駄目だったっていう、すごく際どいタイミングでこの家が見つかりました。

 

当初は何年も放置されている米の保管庫とか、台所とかお風呂とか、結構大変なことになってまして(笑)。家賃を安く抑えてもらう代わりに、リフォーム代は自分たちで持つ形をとりました。 もうひたすらに片付けを重ねて、軽トラック 25 台分ぐらいのゴミを捨てに行ったんじゃないですかね。

 

この家、なんと 10DK に 35 畳か 40 畳ぐらいの作業場と、物置がありまして。建坪は 300 平米ぐらいあってめっちゃ広いし、家賃 6 万円っていう(笑)。もう信じられないぐらい広い家に暮らしています。

《加西に来て良かった点と難しかった点》

ユニテ

加西市に来られて、事業をしていく上でも暮らしの部分でも、難しい点や、逆に良かった点はありますか?

 

久世さん

そうですね。やっぱり田舎は温かいですよ。例えば、たまたま隣に住んでるおばちゃんの家へは、うちの子どもたちが学校から帰ってきたら自分の家みたいな感じで行っています。休みの日とかでも、私たちが出荷とかしなきゃいけない時は、朝の 6 時半からそこに行って遊んでいるみたいな。この優しさはめっちゃありがたいです。村の人も優しく見守ってくれている部分がすごくあって。これはもう本当に、いいな、ありがたいなって思います。

 

難しさというのは、結局どこがどうっていうよりも、私が勝手にここで農業がしたいって言って、勝手に始めたことに対して、さすがに全員が全員ウェルカムでもないし、応援モードにも入らないっていうのは当然と言えるんですけど。それが難しさと言えば難しさですね。そういう人たちにも、納得までいかなくても何とか「頑張っているよね」みたいに思ってもらえたらいいですよね。

 

やっぱり若い人たちが一生懸命に頑張っているのは、たぶん本能的にみんな好きだと思うんです。そこにちょっと甘えさせてもらったりもしながら、可能な限りやっているっていう姿勢を見せているという感じですね。

 

《加西での子育てや暮らしについて》

ユニテ

加西に来て、子育てや暮らしの面で良かった点や難しい点はありますか?

 

久世さん

加西での暮らしに不満は全くないです。幸運にも我が家は小学校からも 300m ぐらい、中学校からも 300m ぐらいで、下手したら都会よりも近いんじゃないかっていう感じもあります。

 

加西ってそういう意味では、都市としてはいいポジションにあるなと思います。JR へのアクセスがちょっと悪いと言えば悪いですけど、例えばショッピングモールはあるし、長距離移動するにしても、新幹線の停まる駅まで車に乗れば 1 時間以内で行けて、乗車完了できますもんね。 神戸空港、伊丹空港は 1 時間で空港まで行けるでしょう。もし都会のエンターテイメントが恋しくなったら、神戸とか大阪まで余裕で日帰り圏内の片道 1 時間とか 1 時間半ですから。

 

確かに 20 代とかは都会の中に住んでいて、毎晩エンターテイメントが欲しいと思う気持ちは、私もすごく共感するんですけど、さすがに子育て世代になってきたら、もう毎晩エンターテイメントはなくてもいいですよね。逆に家が広いってすごくいいなって思います。今の家は謎に 300 平米ぐらいありますけどね(笑)。

 

《事業の未来について》

ユニテ

久世さんの描く未来について、お聞かせいただけますか?

 

久世さん

まず私たちの農業をちゃんと光らせるっていうことをやりたいですね。農業に先端技術を取り込んで生産性を高めたいです。

 

あと私たちの世界観をきちんと伝えられるよう、デザイン能力をさらに高めていって、パッケージやコミュニケーション、体験まで一貫性のある「よしよし畑」というブランドを確立したいです。都市近郊農業の面白さである、お客さんも仲間として一体化していくということができれば非常に面白いですね。そうしたことを積み上げて、農業がちゃんと未来のある仕事だと示したいなって思います。

 

私たちがそういう考えを持っているので、飲食なのか、宿泊なのか、体験農場なのかは分からないですけど、そういうのをまだ出会っていない仲間と一緒に広げていけたら面白いですね。『よしよし畑』の目指す世界観を体験してもらえるような場所を作れたら、すごくいい形に持っていけるんじゃないかなと思っています。

  《何かを始めようとしている方へのメッセージ》

ユニテ

最後に、何かを始めようとしている方にメッセージをお願いします。

 

久世さん

そうですね…人付き合いは大切に、ということですかね。いい話は外からしか入ってこないので、色んな人との関わりってとても大事だなと思います。あと自分のアイディアは自分が思っていたタイミングや思っていたのとは違うカタチで実現することが多いので、柔軟に対応することが大事かなと思います。

 

ユニテ

久世さんは周りの方々と力を合わせて事業を進めておられますもんね。周りの方々の協力があれば、可能性は無限大∞ですね。お話ありがとうございました!

https://yoshibatake.stores.jp/

住所 /加西市下宮木町


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