アツイ想いと愛で加西に旋風を巻き起こす!
橋本 真由美さん
cocorone(心音(根))
2023.03.18 UP
不登校支援の団体を立ち上げ、とってもエネルギッシュに活動する橋本真由美さん。過去は多くの苦労があったそうですが、今では本来の自分を取り戻し、充実した日々を送っているそう。そんな橋本さんにお話を伺いました。
《活動内容と始めたキッカケ》
ユニテ
初めに、現在されている活動と、その活動をしようと思ったキッカケを教えてください。
橋本さん
はい、私は『cocorone(心根(音))』という団体で、「不登校支援」「不登校児の親の会」「発達障がい家族の会」と「こども食堂」も運営しています。
『cocorone(心根(音))』を始めたきっかけは、私自身にも不登校だった経験があって、支援の必要な子どもも抱えているんですけど、ずっと「支援がないな」と感じていたんですよね。それと主人のお母さんが亡くなった時の出来事も大きく影響しています。
お母さんのお葬式で、私たちはすごく悲しんでいるのに、社会はいつも通りに回っていて、「お母さんが自分から行動して、色んなことをしていたら、もっといろんな人に悲しんでもらえたのにな」と思ったんですね。長い闘病の末に「無念だった」という言葉を残して、その4日後くらいに亡くなってしまいました。その時にお母さんが「後悔のないように生きなさい」って教えてくれた気がして、「すぐに行動したい」って思いました。
それと、自分の子どもに支援が必要だって知った時にすごく落ち込みましたし、環境的に苦しいこともたくさんあったんですけど、周りの人が子どものことをすごく愛してくれたんですよ。その時にやっぱり援助は必要だし、経験した私だからこそ、伝えられることもたくさんあると思ったんですね。支援が必要な人たちを「もっと守ってあげたい」という気持ちから、今『cocorone(心根(音))』をしている感じです。
《自身が不登校だった頃》
ユニテ
ご自身が不登校だった時のことについて、教えていただけますか?
橋本さん
はい、小学校の時に地元から別のところに引っ越したんですけど、それから周りと馴染めなくなりました。うちの家庭には複雑な事情があって、みんなともなかなか遊ばせてもらえなかったんですよね。中学校に入るといじめを受けるようになり、学校にいけなくなりました。2年生の後半ぐらいから不登校が始まって、3年生の時は丸々行ってないです。
家庭の事情もありましたし、お金も厳しいので、「早く社会に出ないと」という気持ちがあって、中学を卒業した3日後からアルバイトを始め、通信の学校に通うことにしました。でも、家のこともしないといけない状況で仕事と学業の両立ができなくなり、学業の方を断念せざるを得ませんでした。
ずっと自分に自信がなかったです。生い立ちもなんですけど、親から愛されていないと思っていましたし、中学の時には死のうとしたこともありました。ずっと塞ぎ込んでましたね。人を信じられなかったので職場でも大変だったんですけど、おばちゃんたちはすごく可愛がってくれましたし、幼馴染みと働いていたので、社会の厳しさも教えてもらいつつ、割と楽しみながら生きていた感じです。アルバイトに人生をかけているというか、「仕事第一」みたいな子ではありました。
《転機となった韓国との出会い》
ユニテ
そこで社会の経験を積みながら過ごされていたんですね。その後、どのような転機が訪れたんですか?
橋本さん
相変わらず人は信じられず、心を閉ざしたまま過ごしていたんですけど、たまたま知り合いの子と大阪に行った時に、その子が韓国語を勉強していて、観光客が写真を撮るときの「1,2,3」みたいな声に反応して話しかけたんですよ。拙い韓国語だったんですが、向こうも日本語が少しできる子だったんで「何歳なの?」ってところから会話が弾んで。とにかく楽しい時間を過ごしたなっていう印象を持って、その日は家に帰ったんですね。
そうしたら、数日後にまた別の韓国の人と出会えて、「韓国でも会いたいから、いつでも来てねー」と言われたんですけど、その時の感じが熱くて「この人を信じてみたい」という気持ちが湧いてきたんですね。それで韓国へ旅行に行くことにしました。
行ってみたら、言葉は全然わからないのにすごく楽しかったんですよ。同時に韓国の文化や言葉にも興味を持って、日本に帰ってきてから図書館で韓国語の勉強を始めました。でも独学なので1年経っても全然伸びなくて。「どうしたらいいかな」と韓国の子に相談をしたら、「留学するのが早いよ」と言われて、韓国留学を決めました。それが22歳の頃ですね。
ユニテ
いきなり韓国生活がスタートしたんですか?
橋本さん
そうですね、もう行くなりハプニングだらけで、「なんて大きな決断をしたんだろう」と思ったんですけど、韓国人の温かさだったり、積極的なところだったりが、すごく自分の心を動かしていったと言いますか。色んな方から、たくさんの愛情をもらっていることに気付いて、初めて自分のことも大切に思えるようになりました。私はシングルマザーの家庭で育ったんですけど、母親から受けきれなかった愛を、韓国留学の約3年間で全て吸収して帰ってきました。日本人離れした性格に生まれ変わったみたいでしたね。
帰国してからは再び同じところで働いて、29歳のときに結婚し、30歳で出産しました。
《『cocorone(心根(音))』を立ち上げる》
ユニテ
『cocorone(心根(音))』について、団体を立ち上げられた時のお話をお聞かせください。
橋本さん
息子が生まれて、支援が必要だと分かった時に、すごく落ち込んだんですね。私は子どもが幸せになることを願って産んだのに、この子は幸せになれないかもしれないって思ったら悲しくて。死のうとまで考えたんですけど、周りの人がすごく愛してくれていることに気付いたんです。それで、「私みたいに苦しい思いをしているお母さんを助けたい」と考えるようになりました。韓国のときの熱さが、また出てきた感じです。
初めは副代表の子と「こう思ってて、こんな事がしたいねん」っていう話をするだけだったんですけど、「やっぱりやろう!」って思って、メンバーを口説き落としていきました。
ユニテ
メンバーはどのようにして集められたんですか?
橋本さん
私自身が韓国で「愛は人を変えることができる」っていう体験をしたので、「私と共に愛情をあげられる人は誰だろう」と考えて、思い浮かんだ人のところに行っては「こういうことがしたいので、ぜひ一緒にやってほしい!」と伝えていきました。
メンバー全員、カラーが全く違うんですよ。それぞれの足りない部分は補い合って、みんなが揃って「一つの体」になるっていう感じです。あと愛情を強く持っている人が多いですね。私のことを信じてくれて、「こういうことがしたい」って言った時に、「すごいやん!」って付いて来てくれる人たちと一緒に活動できています。
《ありのままで生きる》
ユニテ
すごく強力なリーダーシップを発揮している印象なのですが、それは以前からですか?
橋本さん
以前はそうではなかったんですけど、今は「ありのままで生きよう」って思っています。子どもが生まれてから「ママとは」とか「女性は」とかに囚われていた時期があったんですね。「お母さんなんだから女性っぽくしないと」と思って、頑張ってスカートも履いていたんですが、私は元々そんなタイプじゃないので本当に苦痛で。「どうしてこんな服を着ないといけないんだろう」みたいな葛藤がある中で、「自分らしく生きたい」って考えるようになりました。
子どもたちにも、みんなが思い描くような「お母さん」だけじゃなくて、「すごく濃くて、ゴリゴリのお母さんもいる」っていうことを見せたかったですし。それが自分たちのママなんだって思って欲しかった。「ママの背中を見ときや!」って感じです(笑)ありのままを生きてるだけなんですけどね。
韓国では友達のことをすごく愛するんですけど、「その友達が大切に思う人は、自分にとっても大切な人」という考えがあって、繋がりがかなり大きいんですよ。私も子どもと同年代の子たちは可愛いし、「学童に来ている子たちも可愛い」ってなると、我が子のように思う子が100人単位でいるみたいな感じになっていて(笑)そういう韓国の気質みたいなものが自分の中にもありますね。
私は言葉ってすごいものだと思っているので、「やりたいな」っていうことは言葉でちゃんと伝えたいんですよ。それを側から見たら「結構ゴイゴイ行く人」って思われるのかもしれないですけど、なぜやりたいかもきちんと伝えて、納得した上で参加してもらえるように心がけています。
《家族の応援があるから前に進める》
ユニテ
ご家族の反応などはいかがでしょうか?応援はありますか?
橋本さん
主人は『cocorone(心根(音))』を立ち上げるとなった時に、「僕が家庭を守るから、まゆは頑張ったらいいよ」って応援してくれたんですよ。今は家事の9割くらいをしてくれている感じです。夜に会議が入る時もあるんですけど、子どもの寝かしつけまで全部してくれて、「待っている人がいるから頑張ってほしい!」というスタンスでいてくれるので、本当に感謝しています。
子どもたちは「こども食堂」などをする時に連れて行って、他のメンバーの子たちと一緒にお手伝いという形で巻き込んでいますね。うちの息子は自転車が趣味なんですけど、フリースクールに来てくれる子と自転車のことで仲良くなって、うちの主人と3人で走りに行ったりしています。
私のしている活動は、家族の応援がないと続けられないことだと思うんですね。やっぱり一番大事なのは家族だし、家族に負担をかけてまでするのは違いますし。裏での問題も色々あってなかなか悩みますが、主人が「みんなが待ってるで」って言ってくれるから、私も「知ってる」って言って、また前を向けるんです。家族の後押しのお陰で、私は今活動できています。
《加西について思うこと》
ユニテ
加西市について、良いことでも改善してほしいことでも、何か思うことはありますか?
橋本さん
私は加西か韓国にしか住んだことがないんですけど、子育てをするようになってから思うのは、お母さんたちが孤独になりがちだなっていうことです。子どもが幼稚園、小学校と成長していく過程で、仲間を見つけられずに彷徨ってしまうお母さんが多いんですよね。私は『cocorone(心根(音))』や女性リーダー育成講座に通うことで仲間を見つけられたし、その中で加西市の職員さんと接する機会も多くなってきたんですけど、市役所の皆さんも頑張って支援しようとされているんですよ。でもそのことが、なかなか市民には届いていないので、市役所と市民の間にある溝を埋める何かがあれば、もっと上手く回るのになって思います。
加西の良いところは、私が今住んでる地域でも「若い人が来てくれた」っていうだけで、周りの人からめちゃくちゃ大事にしてもらえるんですよ。それが素敵だなって思います。加西は田舎の良さもいっぱい残っていますし、みんなが温かい目で見てくれて、受け入れられてると感じられるんですよね。加西から出ようとは思わないです。
あとは子育てがしやすいですね。子どもが割と「うわー」と声を出すので、迷惑かなと思うんですけど、「あんなええ声出してるわ~」って受け入れて下さって、すごくありがたいです。めちゃくちゃ可愛がってくれますし。そういうのも加西の人たちの素敵なところで、感謝していかないとダメだなと思っています。
《これからやっていきたいこと》
ユニテ
これからやっていきたいことはありますか?
橋本さん
『cocorone(心根(音))』は社会的に必要な場所だと私は確信しているので、これから内容をもっと充実させたいですね。いつか『cocorone(心根(音))』の運動会や修学旅行とかもしてあげたくて。社会人になった時に学校の修学旅行には参加してなくても、「『cocorone(心根(音))』で修学旅行に行ったし~!」って、自信を持って言ってもらいたいんですよ。子どもたちにたくさんの経験をさせてあげるために、メンバーや色々な方の意見を聞きながら、何が今の社会に必要かも考えて、やっていきたいと思います。
私自身のことで言うと、死ぬ時に「ほんまにいい人生やったな」って思えるように、やりたいことは全部やりたいですし、子どもたちがその姿を見て、何かを学んでくれたらいいなって思いますね。子どもたちのためにも、自分は例え100歳になったとしても挑戦し続ける人でありたいです。
ユニテ
お話を伺っていたら、熱さがすごく伝わってくるんですけど、もしかして運動部のキャプテンなどをされてましたか?
橋本さん
なりたかったんですよ、それに!(笑)。でも学生時代にはできなかったので、今になって加西市がやっている大人の運動クラブに参加して、サッカーとかドッジボールとかをしてるんですけど、これがめちゃくちゃ楽しいんですよ。ありのままの自分を取り戻したっていうか。
今は分刻みで行動している時も多くて、「あぁ忙しい!」とも思うんですけど、韓国に出会うまでの私は「生きてるようで死んでる」状態だったので、今の自分は「生きてる!青春!」って感じです(笑)。毎日が楽しいです!
《何かを始めようとしている方へのメッセージ》
ユニテ
最後に、何かを始めようとしている方にメッセージをお願いします。
橋本さん
できなくてもいいから、まずは何でもやってみてほしいです。私は、我が子達含め、たくさんの子ども達にはいろんな体験をし、経験を積んで社会の荒波の中を心豊かに切り抜けていってほしいと思っています。それには、見本となる人が必要だと思います。大人が大人になることを楽しむ!ということです。
私は自分の気持ちを押し殺した時期がありましたが、今はありのままで生きられる私になって、とても幸せだと自信を持って言えます。無難に生きるよりも、破天荒に生きることが自分の人生を豊かにし、感じたこともないような気持ちになれますし、挑戦し続けるってかっこいいと私は思います!
ユニテ
橋本さんとお話していると、たくさんのパワーをいただけました。無理かもしれないと思うことも、挑戦して、やってみることが、一つの経験になりますね。お話ありがとうございました!
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