野菜に向き合い、人に向き合う「大橋農園」
大橋 麻世さん
大橋農園
2021.01.28 UP
加西市の北にあるのどかな山あいのまち・下万願寺町には、身ひとつで地域に飛び込み新規就農した人がいる。それが、レタスを中心に季節の野菜を栽培している「大橋農園」の大橋麻世さんだ。
子どものころから志した農業の道
自然とふれあうのが好きで、子どものころから自宅の庭で野菜をつくっていた経験もあり、農業の道を志した大橋さん。農業高校、農業の会社へと進み、いつしか「自分の畑をもって農業をやりたい」と考えるようになったのだという。
「自分で農業をやりたいと思ってからは、とにかく声を上げていって。そうしたらいろんな人が声をかけてくれたんですが、加西以外の地域はよそ者を受け入れない空気もあって、断られてばかりでした」。
最終的には万願寺地域での受け皿となる「原始人会」に出会い、加西の地に足を踏み入れ独立。それからはすぐに地域の中へと入り込み、密な関係を築き上げていった。
育ってきた播磨町とは異なる環境での新しい挑戦。「考えなしに飛び込んだ」と大橋さんは言うが、その勇気は誰にでも持ち得るものではないだろう。
ただ野菜と向き合うだけではいけない
だが、育てた野菜は思うように売れず、山から下りてくるシカやイノシシによる獣害で損失も出た。農業は作物をつくり、出荷し、販売できてようやく利益が入ってくる仕事だ。当然、資金はどんどんなくなってしまう。
はじめは行政のサポートを受けずに、自分の力だけでやっていこうと考えていた大橋さん。「頼らなくても自分でいける! と思ってた。これが僕のあかんとこ、不器用な部分」と苦笑いする。
人と会うのもいやになり、地域の人たちとうまくいかない時期もあった。「でも、自分が変わらないとだめだ」。その後地域の人たちともいい関係を築き、行政のサポートを受けるようになってからは、事業もなんとかうまく回るようになったのだという。
そんな経験があるからこそ、農業はただ野菜と向き合うだけでなく、地域や行政といい関係を築き上げながら仲良くやっていくことが大切なのだと教えてくれた。
取材の合間にも、積極的に近所の人々とコミュニケーションをとり情報交換をしていた大橋さん。「いつもありがとう!」と応援されているその姿に、これまで築き上げてきたあたたかい関係性と人柄の良さがにじみ出ているように感じた。
長く続く“おいしさ”を届ける
「大橋農園」で育てているのは、レタスのほかに、じゃがいも、ネギ、さといも、酒米。じゃがいもは播磨特産の“はりまる”だ。
なぜこの野菜たちなのかと尋ねたところ、加西ではどんな野菜が買ってもらえるのかいろいろ試して、味が良くて売れるものを残してきた結果なのだという。
大橋さんのこだわりは、何よりお客さんのところでおいしい状態が長く続くこと。そのためには、鮮度や収穫のタイミング、おいしいものの見分け方が重要になってくる。
「レタス収穫のタイミングは季節によって変えていて、夏場は夜に行っています。朝収穫すると葉に露がついたままパッケージに入れることになるので、腐りやすくなってしまうんですよね。夜ならその水分がレタスの中に戻ってくるので、みずみずしく長持ちしやすい」。
野菜の収穫と聞けば、“朝採れ野菜”の言葉があるように朝の時間帯をイメージすることが多いだろう。だが、必ずしも朝に収穫するのが最適とは限らない。
ほかにも、夏場にレタスを収穫できる適期は3日ほどしかないため、その間に収穫すること。はりまる(じゃがいも)は特殊な冷蔵庫でデンプンを糖化させ、より甘さの出た状態で出荷する。ネギは霜にあたって、甘みが強くなってから収穫する。こうした工夫の一つひとつが、消費者の手元へ“おいしさ”となって届けられるのだ。
育てるだけが仕事ではない
「おいしさっていうのは、農法(育て方)だけが影響するわけじゃなくて。たとえば、レタスは軽くてぎゅっと詰まっているものがいいとか。農法としては有機栽培でつくった野菜はもちろんおいしいんですけど、有機栽培じゃなくてもそういった“おいしいものの見分けかた”を知っていれば、おいしい野菜を届けられるんです」。
農業は、育てることだけが仕事ではない。消費者が、よりおいしいものをより長く味わえるようにと考え、さまざまな工夫を凝らすことも大切な仕事の一つだ。
「何もわからないところから野菜をつくり続けてきたので、『おいしかったからまたつくって!』『やっぱり大橋さんのとこのじゃないとダメやわ』と言ってもらえるとうれしいですね。僕の子どもたちも野菜を食べて『おいしい!』と言ってくれるので、それがやりがいになっています」。
つくる・出荷する・販売する、すべて自分でできるのが農業。別々の仕事になっていることが多い部分も、全部自分で行うためいろいろ工夫ができる。
「そこで大変だったことが評価につながると、すごくうれしい」と顔をほころばせる大橋さん。そのうれしそうな表情の奥には、きっと数々の苦労の積み重ねが隠されているのだろう。
農作物は子ども、農業は人生のよう
大橋さんは子どものころから農業を志し、その道を歩み続けている。ふと気になって「農業は、大橋さんにとって何ですか?」と尋ねてみた。
「農作物は自分にとって、子どもみたいなものですかね。できるだけどこに出しても恥ずかしくないように、と思って育てているので。農業は、そうですね……ずっと農業に関わってきているし、“人生”みたいなものかもしれませんね(笑)」。
のどかな自然あふれる風景の中、5人の子どもを育てながら日夜野菜たちと向き合っていく。大橋さんの熱いエネルギーは、野菜を通してわたしたちの体や心にじんわりと伝わってくるのだ。
その力強くあたたかい想いは、静かに、だが確かに、人々の心の中に灯り続けていくのだと感じた。