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加西の人々

加西に根付く、こだわりの無化調らぁめん

立岩敏秀さん・真理子さん

らぁめん麺屋秀

2023.03.30 UP

加西市内で、らぁめん麺屋秀を営む立岩さんご夫婦。麺屋秀さんはこだわりの自家製麺をはじめ、チャーシューやスープも絶品!遠方からのファンも多い人気店です。そんな立岩さんご夫婦を取材させていただきました。

 

《幼いころから興味のあった飲食業》

 

ユニテ

飲食業に興味を持たれたのは、いつ頃ですか?

 

立岩 敏秀さん(以下、敏秀さん)

小さい頃から飲食や料理には興味があったんですよね。小学校低学年の時とか、トマトと牛乳を混ぜて凍らせてみたりとかね。ままごとみたいな感じですけど、僕は真剣で。料理の本を見ながら作っても失敗ばかりしてました。

 

高校時代は16歳の時から、地元の小野市にある知り合いのうどん屋さんでアルバイトをしていました。大学で京都に行ったあとは、コース料理がメインの飲食店で働き出しまして、そこの料理長にすごい方がおられたんですけど、色々とお話を聞いている内に、自分も調理の道に進もうかなと、初めて意識するようになりました。

 

そのお店には大学を卒業後に就職をして、29歳になるまで働いたんですけど、アルバイト時代も入れたら10年間、色々とやらせてもらい、勉強させて頂きました。

 

ユニテ

独立して開業と思われたのは、何かきっかけがあったのですか?

 

敏秀さん

調理の道に進むって決めた22歳のときに、30歳までには絶対に何かをしようと思っていたんですね。でも、29歳になっても何もしてなくて。そこで初めて「何をしようかな」って考えたときに、とりあえず仕事を辞めたんですよ。仕事を辞めないと、たぶん何もしないだろうなと思ったので。

 

何をしようかなと思いながら9ヶ月間ぐらい、京都で物件探しをしていた時に、たまたま見つけた物件があって。予算のことも含めて考えた結果、弁当屋を始めることにしました。

 

何も知らないまま弁当屋を始めてしまったので、すごく苦労をして(笑)収入がキチンと取れるまでに2年弱ぐらい掛かったんですね。それまでは結構カツカツだったりして。その時の2年間は苦しかったですけど、真面目に働いていれば見てくれている人とか、お客さんがいらっしゃるんですよね。給食のお弁当のお仕事とかをもらえたりとか、そういうことが積み重なって何とかなっていきました。

 

ただ京都って、人口も多いけどお弁当屋さんもすごく多いんですよ。1日に1万食を作っているような大手も何社かあって。そういうところに金額で対抗しようと思っても、お弁当って単価が低いので、薄利多売の中で個人でやっていくのは難しいっていうのがあって、限界を感じていたんですよね。

 

ある程度の収入は取れるようになったけど、すごい頭打ち感が3年ぐらいあって。「これからどうするんだ」みたいな。身体的にすごくきついし、ちょっと別のことをって考えたときに、元々働いてたところがラーメンも出している料理屋さんだったので、「ラーメンがいいな」と思って、試作を始めたんですよね。妻に相談したら、「まあまあ、いいんちゃう」みたいな感じでした。

《加西がちょうど良かった》

 

ユニテ

物件を探されていた時に、ご出身の小野市か加西市かで悩まれていたと伺ったのですが、最終的になぜ加西市に決められたんですか?

 

敏秀さん

京都から親戚の家に行くときに、今の店がある場所の前を通っていたんですけど、ここの土地がずっと気になっていたんですよね。何か引っかかって。それで不動産屋さんに尋ねてみたら、購入できるとのことだったので、ここに決めました。移住ありきで色々と探していたので、小野市もですけど、他にも岡山に行ったり、和歌山に行ったりもしていました。

 

ただ、当時はラーメンの試作をずっとしていたんですけど、ラーメン屋っていうのも1つの案であって、農業とかもすごくいいなと思っていました。どうせ辞めるんだったら何でもできるなと思って。

 

というのも、小野市の実家では畑や田圃もやっていたので、僕も土をいじったりするのが好きだったんですね。それで考えていたんですけど、色々と調べていくうちに、加西でやる農業ってすごく難しいのかなっていうのが出てきて。長野とかだと大きい農業ができたりして、採算も取りやすそうですが、こっちで新規参入をしてと考えたら、なかなか土地もないですし、いい所は埋まっていますしね。農業をやりながらだったら、子育てができるのかなという思いもあったんですけど。

 

立岩 真理子さん(以下、真理子さん)

京都はすごく良かったんですが、子どもが生まれてから夫はずっと夜も遅いし、子育ては私がワンオペでしていたので結構大変で。夫は休みも全然取らなかったのもあり、しんどそうでしたし。なので、子どもが2歳ぐらいの時から移住を考え出しました。

 

そもそも夫の母方の田舎が、徳島県の大歩危小歩危で、そこに行ったのがきっかけだったんですけど、そこはあまりにも田舎過ぎたので、程よい田舎を探して行き着いたのが加西でした。

 

敏秀さん

「移住先としてどんな所をイメージしてるんやろう?」ってなった時に、加西ぐらいの感じが一番いいなと思って、「それなら加西でいいんじゃないか」みたいな話で。最初は海の近くって言ってたんですけどね。山の上で農業をしながら海を見て、とかね。「たまに釣りに行ったら最高」なんて思っていたんですけど、加西がちょうどよかったです。こっちに来てストレスっていうのは全然なくて、快適です。

 

《加西でラーメン屋を始めてみて》

 

ユニテ

ラーメン屋さんを開業されて、いかがですか?

 

敏秀さん

最初、加西の人は夜ご飯を外に食べに行かないと聞いてたんですね。もちろん知名度の問題もあって、夜に暇な時はあったんですけど、今は「こんなんやってられへん」みたいな日も無くなってきましたね。

 

真理子さん

西脇市とか加東市とかって、播州ラーメンが有名じゃないですか。この辺りでも播州ラーメンを好きな人が多いって聞いていて、ウチのラーメンは全然違うタイプなので「どうなんやろう?」って、最初の頃はよく言われてましたね。

 

敏秀さん

「別のラーメン屋さんの方が好きやから、もう来ない」っていう人もいたしね(笑)。あとは待ってくれない(笑)。今でこそ、待ってくれる人もちょこちょこ出てきましたけど、もう満席やったらどこかに行ってしまうんですよ。満席って言ったら待ってもらえないので、「少々お待ちください」に変えてみたら待ってもらえるようになって(笑)。

 

真理子さん

今考えるとね、やっぱり最初の頃は大変でしたね。新型コロナウイルスの流行もありましたし、ちょっとドキドキした時期でした。

《現在の働き方について》

 

ユニテ

お店とお家が隣同士ですが、現在の働き方についてはいかがですか?

 

敏秀さん

僕は今がベストだなと思います。京都にいた時に、通勤がすごく苦痛だったんですよ。自転車で行く片道25分ぐらいの時間でも、すごく無駄に感じていて。車で行ってる時もあったんですけど、2台分の駐車場を借りるとなると、時間もお金もすごく無駄だなと思っていました。

 

京都でラーメン屋をするのを考えたこともあったんですけど、店舗兼住宅を購入しようと思うとすごく高額だったり、すごく辺鄙なところになったりするので、京都では無理だなとなって。それが加西なら土地の金額が京都の10分の1ぐらいだったので、結果的に店と家は隣同士に建てることにして、ラーメン屋を開業することとなりました。気に入ってますね。

 

ユニテ

働き方は想像していた感じですか?

 

敏秀さん

そうですね、細かく言うと想像してるような感じではなかったです。ただ、飲食業だと帰りが遅かったり、子どもが朝に出て行くときにはまだ寝ていたり、土日も仕事となると、「子どもとの時間を一体いつ取るの?」っていうケースが多い中、僕たちは最初から日曜日は絶対に休むと決めてて、夜も子どもに会えるので、この生活がいい感じだなと思っています。

 

真理子さん

私は夜にお店に出ることがあるんですけど、それをもうやめたいなとは思っていますね。夜のアルバイトさんの確保が難しくて、子どもが大きくなってはきたものの、やっぱりお母さんが家に居ないのはかわいそうなので、もうちょっと家でゆっくり出来たらなと思います。人手不足は何とかしたいですね。

 

《加西の野菜とのコラボ》

 

ユニテ

加西市は野菜の栽培も盛んですが、使ってみたい野菜などはありますか?

 

敏秀さん

ありますね。ハリマ王ニンニクの芽とかは使わせてもらったことがあります。ただ「これ使えませんか?」と言われた時に、僕の考えるペースが追いつかなくて、使いたいなと思った時には収穫の時期が終わってるということがあって。JAの直売所とのコラボとかが出来たら良いなと思うんですけどね。

 

真理子さん

コラボと言えば、姉の同級生が加西のぶどう農家に嫁いでいて、その繋がりでぶどうを店頭で販売してるんですよ。もう3年目になりますね。売る場所がないと困っていたので。やっぱり美味しいし、人気です。ラーメンを食べる前に取り置きをされるお客さんもいらっしゃいます(笑)。

 

《これからチャレンジしたいこと》

ユニテ

これからチャレンジしてみたいことはありますか?

 

敏秀さん

将来的にですが、鶏も小麦も自分で生産できたらすごく面白いなと思っています。多可町で養鶏をされているところへ、お話を伺いに行ったんですけど、今は鶏を飼える場所がないんですよね。田舎であっても、臭いとか鳴き声の問題があるので、平地で周りに民家がない場所でしかできないそうで。「じゃあ、どうやって参入するんですか?」って尋ねたら、誰かが養鶏を止めるタイミングに、自分がその人と知り合いで、自分が動ける状態じゃないと始められないって言われて。

 

なかなか片手間にできることではないんですけど、すごく面白いですよね。食材全部を自前で生産してラーメンが作れたら、最高だなと思います。

 

他にもチャレンジしたいことは色々とありすぎて、漠然とはしているんですけど、カフェとか餃子のテイクアウトをやってみたいです。冷凍自販機で餃子の販売とかね。ホテルで働いていた時に、そこの餃子がすごく美味しかったので、その味を再現できたらと思っています。

 

「いつか実現したらいいな」とか、そういうことを言ってると、自分はふとしたタイミングで本気になったりするんですよ。ラーメン屋もそうで、半分遊びでラーメンを作っていたのが本気になったので。

 

ユニテ

ぜひ、加西のニンニクを使って、冷凍餃子をお土産として販売してくださいませんか(笑)。

 

敏秀さん

いいですね、チャレンジしてみたいです(笑)

 

《何かを始めようとしている方へのメッセージ》

 

ユニテ

最後に、何かを始めようとしている方にメッセージをお願いします。

 

 

敏秀さん

そうですね。僕は出不精だったり、行動力が無かったりはするんですけど、「追い込めば何とかなる」と思っているんです。29歳の時には「絶対に30歳までに自分の店を持つ」という意志をもって、前の店を辞めました。そうやって自分でやらないといけない状況に追い込んで一歩を踏み出せば、あとは進んでいくのかなと思います。

 

ただ、計画的にやらないとダメですよね。僕の場合、弁当屋は何も知らずに始めて、すごく勉強にはなったんですけど、やっぱりしんどいことも多かったので、キチンと事前にリサーチした上で進んでいけるのなら、その方がいいです。ラーメン屋を始めてからは、同級生でラーメン屋をしている友達に相談していて、自分から聞かなくてもアドバイスをくれたりしています。やっぱり、何かしら聞いたら教えてくれる人って絶対にいると思うので、その道の先輩を誰か見つけていけばいいのかなとは思います。

 

あとは、やりたいことがあるなら、やった方が良いです。「やらない後悔」より「やった後の後悔」の方が、トータルの人生で見れば「やってよかった」って思えるようになるじゃないですか。でも「やった方が良かったな」っていう後悔は、もうどうすることもできないですよね。

 

別に何歳になっても始められるとは思うんですけど、例えば30歳の時にできなかったことが、50歳や60歳になってできるのかって言ったら、逆にしんどかったりもするのかなと思うので、若い内にやれば失敗も別にいいんじゃないかと思います。

 

ユニテ

たしかに、若いうちは失敗しても立ち直りがしやすいですもんね。私達もそういったチャレンジを応援していきたいと思っています。どうもありがとうございました。


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